1955-06-09 第22回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 私は、一九五四年、すなわち昨年、外国人に与えるパスポートの一種、無国籍者の居住券と申しましょうか、そういうものを与えられました。しかし、私の行けるところはやはり七十五キロ離れた小さい町へ行けるのみでございました。そのパスポートの中には、最後の国籍というところに日本と書いてありました。私は、機会が来ればきっと帰れる、外交関係がよくなれば日本に帰れると思っておりました。 赤羽文子